第十一話「カシェル奮戦」


「全軍!守るだけでいい!攻めに出ようとするな!」
苦戦は二日ほど前から始まっていた。

深夜に<黒猫>の襲撃を受けてからのエルモア強襲部隊の奇襲、
そして魔術士隊による牽制。

さすがに相手も前回の敗北で警戒したのか、
強襲部隊は突撃のあとすぐに撤退を繰り返しているばかりだ。

だが、彼らのエルモア強襲部隊は、
こちらのどの部隊よりも、攻防両面において優れている。

突撃のあと撤退していく彼らに、被害をあたえることはほとんどできなかった。

そして戦力を十分に削った天上界軍は、
地上軍の拠点を完全に包囲し、進軍を開始していた。

「さすがにこれだけの数をうちのディープブルーだけで防ぎきるのは無理か・・・」

単純な話だった。
地の利で劣る彼らは、それを補うために包囲と兵力という武器をもってきた。

そして戦局は、確実に彼らに傾きつつあった。

地の利を生かすために、必然的に守りに入るしかない地上軍、

そして、そのことで主導権を得て、包囲を成功させた天上界軍。

勝敗は火を見るより明らかだった。

加えて今は、地上軍の要人はほとんどいない状況であり、
移動魔法担当のフレイもいないために撤退もままならない。

「くそ・・・絶望的じゃないか」
カシェルは歯軋りをするしかなかった。

こうしていても現状が解決できるとは思えなかったが、
どうすることもできなかった。

「大丈夫ですよカシェル、いざとなったらお姉ちゃんがなんとかするから」
そういって隣の姉が微笑みかける。

こんな絶望的な状況でも彼女は笑顔を絶やさない。
そしていざとなったら、自分が何とかするといっている、

そんなことができるはずがないのに。

「姉さん・・・僕は・・・いつまでも頼りない弟なのかな」
「え?」

「僕は・・・姉さんと違って男だから・・・僕がしっかりしなきゃいけないんだ」

カシェルは決断を迫られていた。
二つの選択肢。

ここでねばって来るかどうかもわからないロイドたちを待ってあの殺意の風に頼るか、
もしくは薄くなった一点を突破して包囲を切り抜けるかのどちらかだ。

前者はまず期待できないが、あの殺意の風が起これば確実に勝つことができるだろう。

後者は天上界軍に拠点と天地の門を明け渡す形になり、
ただでさえ兵力が劣るのに、地の利を放棄して戦うことになる。

そして、そのあと攻めに転じなければ、
彼らの地上侵攻を許してしまうことになり、

加えて帰ってきたロイドたちとの合流に失敗すれば、
まず確実に彼らは敵に捕らえられることになる。

「どちらも奇跡だけど・・・」

決心する。

自分で起こせる奇跡と他人に頼る奇跡、どちらを選ぶかと聞かれれば

「奇跡は自分でおこさなくちゃな・・・指揮官として」
そして姉に告げる。

「姉さん、僕の決断は間違っているかもしれない。けれど僕は後悔しない。
これが僕の選んだ道だから。姉さんはついてきてくれますか?」
真剣な表情の弟に姉は静かに頷いて答える。

「全軍撤退!北から脱出する!先頭はルアス第三師団、
その後にジャッジメント、ロジャー海賊団!ディープブルーは殿を受け持つ!」

「カシェル・・・それは・・・」
それは正気の沙汰ではなかった。

もっとも接近戦に弱いディープブルーを殿に置くということは、
要約すると餌になるということだった。

自分たちが餌となって食べられている間に先頭の部隊は離脱を完了する。

そういう作戦だった。

「どうしてそんな・・・殿ならレミィさんたちに任せればいいじゃないですか!」
そのとおりだった、そのほうが確実に被害を抑えられる。

「姉さんはわかっていない。ディープブルーを殿に使うのには理由がある。
ディープブルーの中にも、撤退組みと囮組みを決めて囮組みだけが残る。

ディープブルーならある程度離脱しても囮組みの援護が可能だ、
つまり撤退組みが先頭の撤退を確認して囮部隊の援護をする。
そうすれば被害は最小限に抑えられる」

「・・・」

それは彼らしからぬ考えだった。

彼はよくも悪くも理想主義者であり、目に見える被害を確実にさけるのだ。
だからこのような必要最小限の犠牲を容認するようなことは一度もなかった。

それが彼の決心を物語っていた。

「そうですか、わかりました。もうお姉ちゃんは何も言わない。その代わり囮にはお姉ちゃんがなります」
「それはだめだ、僕は囮、姉さんは撤退組み。これは譲れない。そうじゃないとこの作戦を取った意味がない」

「そんな・・・それじゃカシェルが・・・」
「姉さん、僕はそんなに頼りないですか?」

「え?」

「僕はいつまでも姉さんに守られるばかりじゃないんだ、今度は僕が戦う」
「でも・・・」

「撤退が始まりました、いきましょう姉さん」
「カシェル・・・」

部隊が進軍を始める。先頭の第三師団はすでに交戦を始めたようだ。

「よし!ディープブルーも援護しつつ撤退開始!」
掛け声を受けて、ディープブルーの援護詠唱が開始される。

ここは天上界の拠点、ジェイクとウォルトは地上軍の撤退の報告を受け取っていた。

「なるほど・・・地上軍は撤退を選んだか」

「撤退を始めるにはぎりぎりのタイミングだったね、あれ以上遅かったら撤退なんて成り立たない」

「お前は何かと地上の奴らの肩を持ちたがるな」

「そうでもないよ。
それにこの撤退、タイミングとしてはギリギリだけど、
撤退という決定自体がナンセンスだよ。
僕たちとしては、ここさえ取り戻せばあとはどうとでもできるんだから」

「ふむ・・・だが敵はたたけるうちにたたいておくのが正解だろう。
リュートのエルモア強襲部隊を、追撃に向かわせる。」

「今は<エルモア強襲部隊>じゃなくて
<クリムゾンランス>って言わないとリュートにおこられるよ。
それになんだかジェイクらしくないよ?余裕がない・・・っていうか」

茶化すようにウォルトがジェイクの顔を覗き込む。
ちなみに<クリムゾンランス>とは前回で壊滅した
エルモア強襲部隊を再編したときにリュートがつけた部隊名である。

本人いわく、敵の部隊だけ特別な名前がついているのは不公平だ、とかなんとか。
「余裕がない・・・か。そうかもしれないな、
俺はあの異様な殺気を纏った男に、恐怖を抱いているのかもしれない」

そういって、遠くの景色に目をやる。

すでに薄かった北の包囲は突破され、地上軍の撤退は殿を残すのみとなっていた。