第2話



ぼくは掛け値なしに驚いた。

「はあ!? 板さん、今なんて……」
「蒼君が、重傷でただいま僕の知り合いの魔術師に治療してもらってる。正直、命に危険がある」

いつもとは違う、板さんの口調。

「え? ええ? あの、本当に蒼さんが?」
「ああ。僕も見舞いにいって見てきたけど、珍しくアレの顔が真剣だったからね」

となりに座っている紅さんの顔が、すごく沈んでいる。

「僕が動ければ、こんなことには……」
「無理を言ってはダメだよ、紅君。君はまだ治療中なんだから」

そう、紅さんはこの前の心臓への傷が癒えず、

カレワラの魔術師さんに世話になった6人のうち、唯一治療を受けている。

「でも……」

「君よりもヘル君のほうが心配だ。普段は大丈夫だけど、こういう事態に弱いんだよね。彼女は」

こういう事態とは、仲間を傷つけられ、自分が何もできないという恐怖を感じることだろう。

「──師匠、大丈夫だとは思いますけど」

「ん? 師匠?」

あ、そう言えば板さんは知らないんだったか。

「ぼく、この前の事件のあとヘルさんの弟子になりました」
「ほう。それはそれは。おめでとう。こんな事態になってなかったら、素直に喜べるんだけどね……」

「板さん、蒼の奴は一体どうやってやられたんですか? あいつが、むざむざやられるとは思えない」
「ああ、──過程は単純だよ。サラセン闘技場で一人の修道士に戦いを挑まれてね。

まあ、この彼は無関係だったようだが、周りに集まった観客が全部グルだった。

低い、板さんの声。

「蒼君の意識がほとんど相手に向かった瞬間、観客が突然蒼君に襲い掛かってね。

隠し持っていた短剣で背中を刺した。それも、七、八人に。

何か行動を起こす前に、逆側から襲ってきた暴漢にもナイフを刺された。

全身刺傷だらけ、全治2ヶ月をくだらない状態だ」

思わずぼくは息を飲む。

「なんで……一体」

その時、がちゃりという音をたててアジトの扉が開いた。──ヘルさんだ。

「……ただいま」
「おかえりなさい」

ぼくはヘルさんの手から長剣を受け取った。

「蒼、容態よくないわね……」
「すいません、ヘルさん。僕がついていれば……」

「君がいたらもっと問題になっていたと思う。残ってくれているだけ、安心できるわ」
「問題は、これ以降も続くということだ」

三人の視線が板さんに集まる。

「後残っているのは、ここにいる4人にユステラ兄弟だけ。
嫌なことに、ユステラ兄弟の消息も昨日からつかめない」

「やっぱり……」

「サラセンでの暴漢の様子を見ると、バックが相当な大きさだ」
「何で……、この前のアイツを倒して終わりじゃなかったの……?」

ヘルさんの蚊の鳴くような声。

「あの聖職者も、駒にしか過ぎなかったんだろうね」

「ルアス王宮」

ぼそっと呟いたのは、紅さんだった。

「あそこだと思います。今ルアス王は病床に倒れているのはご存知ですよね?」
「ええ。だけど紅、それがどうして私たちに?」

「僕と蒼の昔を知らないわけじゃないでしょう?

今の騎士団の団長、ルートビエンがやっているんです」

「そう言えば……、今ルアスを実質統治しているのは騎士団、だね」

「え、と。すいません、ぼくには話しが見えないんですが……」

三人の視線がぼくに集まる。

「紅君は昔、ルアス騎士団に附属する、情報集団の一員だったんだ。

そのまた昔、蒼君は騎士団を一度全滅させている。殺人鬼だったときにね。

唯一生き残った騎士が、そのルートビエン君だ」

──ああ、なるほど。って。

「超個人的な恨みじゃないですか!?」

「そうだよ。だけど、だからと言って問題がかわるわけじゃないの、ディカン」

「わかりました」

かたん、と椅子の音を立て紅さんが立ち上がる。

「ちょっと、いくつか話きいてきます」
「騎士団の中に?」

「ええ。昔からの仲間も、まだいますから」
「――大丈夫?」

「多分、大丈夫でしょう」

それが、最後に見た紅さんの無事な姿だった。



「これは……、紅さんの、ですか?」
「ええ」

怒りのこもったヘルさんの声。

降りしきる雨。

その静寂の中で、ドアの外に何かが叩きつけられた。

開けてみてみれば、落ちていたのが腕一本。誰がやったのかわからぬまま。

「──つまり」
「……」

その先は、ぼくには言えなかった。

ぼくだけじゃない。

誰にだって言えなかっただろう。

なるほど──

封印を解くためには別にドアを壊さなくても、鍵穴だけ壊れれば問題は無い。

良かれ悪かれ、蒼さんのストッパー役だった紅さんを殺せば、殺人鬼が再臨するのは目に見えている。

そうすれば──

大義名分をもって蒼さんを殺れるということか。

なんて、卑劣。

なんて、低脳。

なんて──愚昧。

蒼さんよりもレベルの低い、殺人鬼ルキアスすら止められなかったあの騎士団が、

人類最悪を止められるとでも、言うのだろうか。

人類最悪を止められたのは、最低の力があってこそ。

最悪、人類ともども滅亡する。

「どうするんですか? 師匠」

「いい加減、そろそろ私も堪忍袋の緒が切れたわ。ディカン。──いくわよ」

雰囲気が、凍りつく。

素直に言おう。

やはり、怖いものは怖い。

過去蒼さんに止められたとはいえ──殺人鬼ルキアス、その気配はただものではない。

「オーケイ。あのクソ騎士団ども、久々に殲滅させてやるか。早くしろ、ディカン」

ぼくは、背筋を凍らせながら自分の支度を開始した。

「あははははっ」

笑いながら、王宮の入り口を進むルキアス。

「何もの……ぐはっ」

質問を言わせる暇も無く、要求を聞き入れる余裕も無く。

王宮を守る騎士団の一派──宮廷護衛団が殲滅させられていく。

「ここまでだ。おとなしく投降すれば、悪いようにはしない」

ぴたり、と彼女の足が止まる。

「あんた、何言ってるの?」

剣を地面に突き刺し、ルキアスはその、人をも殺せる視線で司令官を睨み付ける。

「私が誰だか知っているから、そんなことを言うんでしょう。

オーケイオーケイ。誰にだって言論の自由はあるわ。何を言っても私の知ったことではない。

でも、私を誰だと思って? あんな甘々なヘルギアと一緒だと思ってるの? 

私は殺人鬼、人類をエサにしてその命を永らえさせる存在。

破るは護法、重ねるは罪悪。──そんなモノに、あんた。何言ってるの?」

そして。次の瞬間。

 ばらばら 
 ぼちゃっ

ただの肉体となったニンゲンたちが、重力の力にしたがって積み重ねられる。

「ご機嫌よう。そしてこんにちは。ようこそ、死の世界へ」

にんまりとルキアスは微笑んだ。