第18話


ドアを後ろ手で閉め、荒れ果てた廊下をゆっくりと歩く。

「……こっちでやれることは終わったわよ、ヘル。あとはそっちで何とかしなさい」

左に曲がり、元来た道を戻っていく。広がる、瓦礫の山。

「あら……?」

目に写るは、光るモノ。

謳華はしゃがみ、それを手に取った。

「イヤリング……血?」

微かにこびりついているのは、まだ乾ききっていない血液。

「……なる、ほど」

少し悲しそうな、謳華の顔。

「私の感覚も、捨てたものじゃないってことだわね」

ビルゲンと対峙した時。

彼女にはまだ、紅が死んだこと、それに蒼が暴走していること、

両方とも事実として知ってはいなかった。

瓦礫の山を見上げる謳華。

そして、ゆっくりとそのイヤリングを左耳につけた。

「月―あんた、誰にも見送られなかったのね」

下を向き、そして言葉を紡ぐ。

「私だけだけれど、勘弁して頂戴。一人逝くのも、寂しいことだわね」

足元に、小さな水滴が落ちる。

「お疲れ様。今まで、ありがとう」




ちょうどぼくたちがサラセン町についたとき。

蒼は一人の男を組み伏せ、剣を上に振り上げていた。

「蒼さんに…ルートビエン!?」

ヘルさんが叫んだ後、ぼくは二人の位置めがけてダガーを投げつけた。

ルートビエンの上から飛びのく蒼さん。 

「ヘルギア、か。ルキアスはどうした? ―あいつと久々に、殺りたい」

「だめよ、蒼。ここで暴走してちゃ、何の意味も無い」

「暴走? いいや俺は至って正気だゼ」

にやにや、と笑う蒼さん。違う、いつもとは何か―どこか、違う。

「それに、紅が殺されてさえこの程度だ。至って、まともだぜ」

片手で投げた剣が、ルートビエンにつき刺さる。

ヘルさんは、明らかに動揺していた。

「紅、…死んだ、の?」

「そうだ、おそらくルアス城内でな。まあ、おかげで俺が表に出て来れたわけだが」

こつ、こつと一歩ずつ前へと進む蒼さん。

「あの騎士も、そろそろ死ぬ頃だろう。さあ、もう邪魔はない。ルキアスを出せ。

今のお前を殺しても、何の面白みも無い」

「く…ダメだ、蒼さん。それはさせない」

ぼくはヘルさんの前に出る。

「……テメェほどの雑魚に用は無ェんだよ」

流れている殺気が、全てこちらへと向く。

まるで針のような空気が、ぼくを襲う。

 これが
 これが
 これが―

“人類最悪”と対峙する、ということなのか。

殺人鬼に相対する、ということか。

人間に、勝てるわけがない。

まともな人間を相手にして、負ける理由がない。

「さあ、ヘルギア。お前はどうする?」

そう、蒼さんが手を広げたとき。

ヘルさんが、ぼくのことを後ろへと押し下げたとき。

風が―、一瞬止んだとき。

「蒼さっ、ん!」 「蒼、後ろ!」

叫びその瞬間。右側に蒼さんを押し倒す、ヘルさん。

「が……っ、」 「な、なんでっ!」

ぼくは悲痛な声をあげた。剣が―、剣がヘルさんの背中に。

「テメェ、死に際の奴が余計な真似をするなッ!」

死にかけのルートビエンが、蒼さんが投げた剣を持ち、ヘルさんの背中を刺し貫く。

蒼さんが立ち上がり、ルートビエンを殴り飛ばす。

「師匠!」

ヘルさんの口から、血が零れる。

咳きこむたびに、溢れる血液。

治ったばかりの傷口を、その剣は切り開いていた。

「ディカン……、」

「師匠、しゃべっちゃ駄目です!」

「いいから。今から言うことを聞きなさい。いい? ―ルートビエンを連れて、ミルレスに行く。

それで、神官のいるそばの家に、私の知り合いの聖職者が開いている病院があるから、

そこに連れて行きなさい。まだあいつ死んでいないから」

そこまで一息に喋り、再び血を吐くヘルさん。

「そんな……師匠を置いていけません! それに、なんであいつを……」
「私は大丈夫だから。いいから行きなさい」

「……」

「師匠の言うことが聞けないの? それに私は、これでも聖職者よ。

だから、大丈夫と言ったら、大丈夫なの。安心して、行きなさい。

それに、これ以上蒼に、人殺しはさせちゃ、駄目、なのよ」

血を吐きながら、優しい笑みを浮かべるヘルさん。

 ぼくは
 ぼくは―

ここで、何をするべきなのだろうか。

放心している蒼さん。

血を吐いている、ヘルさん。

そして、死に掛けているルートビエンに

何の役にも立っていない、ただの盗賊。

なら、

ぼくのやることは

「分かり、ました」

ミルレスリンクを使い、ぼくとルートビエンはミルレス町へと旅立った。