第15話


「え……、どういうこと」

怪我をしているとはいえ、リュープの感覚は鋭敏なもの。

その嗅覚が、奇妙な現実を彼女に告げる。

「誰も、いえ」

周りを見回す。かなり町から離れたところにもかかわらず。

「何も、いない?」

気配だけはまるで染みつくように、

殺意だけはおよそ信じられない程。

「嘘でしょ…さすがに、これは」
「いや、お前の想像する通りだ」

「!?」

背後に。

ソレは現れた。

「蒼…!」

「さて、二つほど選択肢をやろう。ここで死ぬか、逃げるか。

知り合いということに免じて、この場は逃がしてやるよ」

すでに目の色は真っ赫、そして立ち込める気配は人間の天敵ソノモノ。

「さあ、どうする? ああ、言っておくが説得は無駄だ。もうすでにあいつの意識はない」

「冗談、言わないでくれる?」

この先には、サラセン町が。

ここを通せばどうなるかぐらい、考えなくても分かること。

片手に握ったカチハプンが、汗で微かにすべる。

「そうか。まあ、残念だ」

―そして、一瞬の後。

「まあ、手加減はした。しばらくは倒れてろ」

その赫い目で、地面に倒れふしたリュープを一瞥し、蒼はサラセン町へと向かった。


「ほう、立派に戦おうとするか」

ぼくは無言で短剣を握る。

そして、生まれ持ったスピードで突貫をする―

「ふむ。油断しなければどうということはない程度だが、俺は堅実なタイプでな。

こういう手をとらせてもらおう」

「―え?」

目標は、横へとずれる。

横? まさか―。

「さて、止まれ。こいつがどうなってもいいのならな」
「く…」

ぼくは立ち止まる。

ルートビエンの手には、ベッドのそばに置いておいたヘルさんの剣、

そしてそれは、ヘルさんの喉に―。

「いい剣だ。どういう触れ方をしても斬れそうだな。さて」

ぼくの方を一睨みする。

「こういうときは、なんと言うのかな。詰み? チェックメイト? 中々いい表現が思い浮かばん」

喉に当てられた剣が微かに動き、そこから赤い紅い血が、生まれる。

「しかし、終わりはあっけないものだ。あの月も死んだ。ヘルギア=ルキアスも、この程度か」

月―、紅さんが、死んだ?

「…………」

「さあ、お前はどうする?」

「――――ルートビエン、取引をしよう」

「何を言い出す…」

「お前はここから引く。

その代わり、ぼくはお前達の探している蒼さん、人類最悪の殺人鬼の行方を教える」

「…ほう。どういうことだ?」

「そのままの意味だ。お前がいないと、騎士団とはいえ蒼さんには勝てない。あの人類最悪に、勝てない」

力でも実力でも頭脳でも勝てないなら―口が残っている。

「お前がもしヘルさんを殺せば、ぼくは捨て身でお前ごと死ぬ。

どのみち蒼さんがこちらまでくれば命はない」

「……ふむ。道理だが、そこまで強い奴ではなかったらどうする?」

「自分に嘘をつくな。そこまで強いと知っているからこそ、回りくどい策を広げたんだろう?

それに、もし本当に有り得ない程度に強かったら、どうするんだ?」

「……」

ぼくはここで、自分の勝ちを確信した。

「場所はどこだ」

「カレワラ町とサラセンの間、サラセン寄りの暗黒の森の中」

「サラセンゲートをもらうぞ」

風を巻き起こし、ルートビエンは消えていった。

ぼくはそれを確かめ、かくりと膝を折った。

「死ぬかと…思った」
「…ディカン」

「師匠!? ダメですよ、寝てなきゃ」
「さっきの剣で起こされたわ。それより…、こっち向きなさい」

「…はい」

ベッドの上に体を起こしたヘルさんの正面を向き、床に膝立ちになる。

「バカッ」

がばっと、ヘルさんがぼくの体に抱きついてきた。…え?

「し、師匠」

「死んだらどうするのよ!? 私の目の前であんな事しないで。相手はあのルートビエンよ!

 万が一、もし万が一のことがあったらどうするの!?」

ぼくの右肩の上に、ヘルさんの頭が押し付けられる。

「良かった……無事で。本当に…良かった。もう二度と、こんな目にあわせないで」
「……すいませんでした、師匠」

「反省してる?」
「はい。もう、こんな無茶はしませんから」

「なら、もう、いいわ」

体を離し、ぼくの顔を見つめるヘルさん。

「師匠、どこから、起きてました?」
「君が、捨て身で…って言っているあたりよ」

良かった、紅さんが死んだことを、この人はまだ知らない。

それだけでも、ぼくはだいぶ心が軽くなった。

「体の具合、大丈夫ですか?」
「ええ、もう動けると思うわ。ありがと」

「いえ、この程度は気安い御用です。…それよりも」
「蒼、ね」

少し哀しそうな顔をする、ヘルさん。

「私達が止めるしかないわ。いきましょう、サラセンへ」