extra quest 裏切った者と裏切られた者の誓約 いつからだろう。 人が恋しくなくなったのは。 いつからだろう。 人を信用しなくなったのは。 気付けば、僕は一人だった。 いつしか疎外感に畏怖を覚えなくなり、罵られても無視されても気にならなくなっていた。 それが当たり前―僕の心の中は次第に闇に覆われ、その心を閉ざすようになっていた。 その時だった。 彼に出会ったのは。 初めての友だち―僕は彼のことをこう呼んだ。 アジェトロ 裏切りの友に捧ぐ唄 external quest 裏切った者と裏切られた者の誓約 街の雑踏―それは極自然的な過程で生み出されるものだ。 誰かに言われたわけでもないのに、人はいつもそこに集まる。 なぜそこに雑踏が生まれるのか、なんてことは思わない。 それが当然だと思っているからだ。 自動化された行動は人から疑う心を奪い去った。 それは良いことだ―十人の人がいたら九人の人はそう思うかもしれない。 しかし、残りの一人はこう考えるだろう。 『疑う心を忘れてしまえば、人は人でいられなくなるのではないだろうか』 僕はその一人だった。 疑うことで世の中の均衡は保たれている―そう考えていた。 でも、今は違う。 疑うことは良くないことだ、と考えている。 なぜなら、その行為は無駄以外のなにものでもないからだ。 そして、僕は今日も街の雑踏に身を投じる。 「ちょっと奥さん、聞いてよ。 隣の家のクロスハルトさん、夜中にすごい声で怒鳴っているのよ。 うるさくて眠れないったらありゃしない」 「あらら、なんて怒鳴っているの?」 「『親の期待を裏切りやがって、このバカ息子!』って昨日は怒鳴っていたわ」 「あぁ、あそこの家は教育に関しては厳しいからねぇ」 「ホント、スルト君が可愛そうよ。 毎晩、毎晩怒鳴られて…」 このおばさんたちにとっても、こんな他愛のないおしゃべりは自動化された行動なのだろう。 僕―スルト・クロスハルトの家はここルアスの街では少しで有名だ。 家主であるライン・クロスハルトがこの街の第三騎士団長を務めていることもあるが、 そのスパルタ教育の激しさの方が有名だ。 息子を戦士としても、学者としても生きていける人間にしたいらしい。 僕にはそんな期待を背負う義務はない。 だから、僕は家を出る決心をした。 もう一方的な束縛を受けるのは嫌だ。 そもそも僕が人を疑わない方がいいと考えるようになったのはこれに原因がある。 どんなに疑っても無駄だった。 いつか、この苦しみから解放される― そうして日常を疑い続けたが、残ったのはやるせなさと喪失感だけだった。 だから、僕は疑うことをやめ、希望的観測という唯一の足掻きを捨てた。 これでいいんだ―そう自分に言い聞かせ、僕は雑踏から抜けた。 「あ、スルトだぜ」 「ホントだ」 嫌な奴らに会ってしまった。 僕が人を疑わなくなった理由その二はこいつらにある。 「スルトぉ〜、[ファイアボール]使えるようになったかよ?」 こいつらは僕が魔術を使えることをバカにする。 妬みもあるかもしれないが、差別の意味合いがその根本にある。 ここルアスの街では通常、魔術を扱うことが出来る者は生まれない。 でも、僕は違った。 僕は魔術師特有のオーラを纏って生まれたらしい。 昨晩、父が僕を怒鳴ったのはこの理由がある。 『親の期待を裏切りやがって』― 魔術師になるべくして生まれた僕にそんなことを言われたって仕方がない。 なぜ、僕が魔術を使えるのかは謎に包まれている。 ともかく、こいつらは僕を虐めることを糧に生きていたようなものだ。 「俺たちに魔術を見せてくれよう」 一人が軽く蹴りをいれる。 「………」 「黙り決め込んでんじゃねぇよ」 蹴りが強くなる。 こいつら、ぶっ飛ばしてやろうか。 「おい、それ以上はやめとけ。 一応こいつはクロスハルト家の嫡子なんだから」 「だいじょーぶ、だいじょーぶ。 こいつの親父はスルトのこと嫌ってんもん。 な?」 貧相の悪い顔を薄気味悪く歪め、そいつは僕を見た。 「………」 これ以上付き合うつもりはない。 僕は一気に走り出した。 「待てよ!」 声と足音が追ってくる。 どこの世界に嫌いな奴に「待て」と言われて待つ奴がいるのか、その小さな脳味噌に聞いてやりたい。 「おら、待て!」 うざったい。 全てが疎ましい。 息子を自分の操り人形のように扱う父。 何もせず、ただ泣くだけの母。 僕とは違い、武術に長ける妹。 虐めに生き甲斐を感じている同年代の子ども。 僕の家の噂話をする街の連中。 常に犇めく街の雑踏。 全てが僕の知らないところで時を刻んでいる―そう感じられるくらい、全ては僕を突き放そうとする。 タッタッタッ、という足音がサクサクサク、という音に変わった。 石畳を敷き詰めたルアスの街道から出たのだ。 草と大地を踏みしめる音は後ろからも聞こえる。 奴ら、意外としつこい。 この辺りまでくると、モンスターが出現する。 ただ、襲ってはこないので無視しても構わない。 息が途切れてきた。 本当に魔術で一掃してやろうか。 決断は早かった。 もう、どうにでもなれ。 僕はこの街を出るんだ。 振り向くと同時に僕は叫んでいた。 「『ファイアボール』!」 火の球が走り寄る集団に向かって、軌道を描く。 「うわっ」 次の瞬間、閃光が辺りを突き抜けた。 あまりの目映さに僕の目が眩む。 なんだ? 「スルト、お前は父さんに恥をかかせることしか知らないのか?」 『ファイアボール』を放った先に、奴らの目の前に、その人は立っていた。 ライン・クロスハルトは火の球を断ち切ったであろう剣を鞘にしまうと、 奴らの方を見向きもせず僕を睨み付けた。 「友だちに向かって攻撃をするとは、クロスハルトの名に傷が付くわ」 父は“傷”という単語を特に強調した。 「そんな奴ら友だちじゃない。 それに、もう僕はあなたの息子じゃない」 父は驚愕と憤りに顔を歪めた。 「何をバカなことを。 帰るぞ、裏切り者め」 父は僕の手を無理矢理掴むと、ぐいと引き寄せた。 「もううんざりなんだよ!」 僕の叫び声が森閑とした森に響きわたった。 「あんたのやり方も、お前らの嫌がらせも! どうして、魔術師を差別すんだよ! ふざけんな!」 あらんばかりの声は奴らを怖じ気させ、その身を硬直させた。 だが、父は違った。 まるで聞きたくもない戯言を無視するかのように顔の筋肉を少しも動じさせなかった。 「言いたいことはそれだけか?」 「なっ…」 「帰るぞ」 ルアス第三騎士団長を務める男の膂力は凄まじく、僕の体を引きずるには十分だった。 でも、僕は精一杯の力で反抗し、父を突き飛ばした。 父は、意外にもあっさり手を離した。 そして、僕は見た。 父の顔が嘲笑に埋め尽くされたのを。 その意味を僕はすぐには理解できなかった。 体が、突き飛ばした反動で倒れる。 まるでスローモーションで動いているかのように、繊細な意識の一つひとつが脳に刻まれているようだ。 しかし、体は地面に打ちつけられなかった。 そこで、僕は悟った。 父の嘲笑の意味を。 ―洞穴だ! 草むらに隠れていて気が付かなかった。 気付いた時にはもう遅かった。 僕の体は重力に吸い寄せられ、洞穴の奥深くに急降下する。 しがみつく場所なんてない。 岩肌に体のあちらこちらが当たり、傷が刻まれる。 このまま死んでもいいと思った。 父は僕を死なせたかったのだ。 心の深淵で残っていたなけなしの希望は呆気なく砕け散った。 もう生きている価値なんか何も残されていない。 父は心の奥底から僕を消し去りたかったんだ。 だから、あんなに辛く当たったんだ。 考えてみれば当たり前のことじゃないか。 やっぱり、僕は愚かだった。 「さようなら」 バシャーン!! 「のわっ!?」 …生きている…? 何だか暖かい。 「だ、誰だ!?」 誰かいるらしい。 僕はぼんやりとした頭をはっきりさせるために左右に振った。 ぼんやりとしているのは頭だけではない。 周りの空気も…いや、違う。 これは湯気だ。 それにこの臭い…。 どうやらこの地下洞穴は温泉が潜んでいたらしい。 「何か答えたらどうだ?」 それにしてもこんなところで温泉に浸かっているとは、どういう神経の持ち主だろう。 「えっと、怪しい者じゃないです。 ちょっとあそこから落ちてしまって…」 僕はわずかな光源となっている洞穴の入り口を指さした。 「ドジな奴だな。 ここから出たいか?」 やっと闇に眼が慣れてきた。 どうやら声の主はずいぶん背が低いらしい。 くっきりとした顔立ちまではわからないが、大まかな全体像は掴めた。 「おい、聞こえているか?」 「あ、すみません」 「まったく…。 で、どうなんだ?」 もし、外に出れば父に出会ってしまうかもしれない。 それに僕はもう生きている意味がない。 誰にも生きてほしいと思われていない。 僕は死ぬために生まれてきたのかもしれない。 「いえ、このままここにいさせてください」 「変わった奴だな。 まぁ、いい。 名前は何と言う?」 声の主は気にした素振りもなく、発問した。 「スルト。 スルト・クロスハルトです」 「そうか。 いい名前だな。 私はアジェトロだ」 変わった名前だな。 「アジェトロさんは何をしていたんです?」 「私は見ての通り、温泉で休んでいるだけだ」 「わざわざ、穴から落ちてですか?」 アジェトロさんは苦笑して言った。 「ここはディグバンカーに通じているんだよ」 ディグバンカーはこの大陸で一番有名な洞穴で、古代の遺産がたくさん発掘されるらしい。 「そ、そうだったんですか」 「昔は仲間とよく来たものだ」 アジェトロさんは寂しげに言った。 「あの、そのお仲間さんは?」 「死んだよ。 二人ともな」 アジェトロさんは温泉で顔を濡らすと、深くため息を吐いた。 「で、お前は?」 「え?」 「お前」という響きに少しムッとした。 「何か、悩んでいるだろ?」 この人、鋭いな。 「別に…」 本心とは反して答えは消極的だ。 「嘘をついてもわかる。 言ってみろ。 相談にのってやる」 僕は湿ってまとわりつく衣類を脱ぎ、リラックスした。 「…誰にも生を望まれない人間はどうすればいいと思います?」 「それはお前のことか?」 「いえ、僕の友だちのことです」 嘘だ。 友だちなんかいない。 「ふむ」 もしかしたら、嘘だとバレているかもしれない。 バレていても、別に構わない。 「わからんな」 「はぁ!?」 このおっさん、自分で相談にのると言っておいて何なんだ? 「生きることを望まれない人間なんていないんじゃないか?」 「いますよ!」 僕はなぜかムキになる。 「ならば、なぜお前は友だちの悩みを解決してやろうとしている?」 アジェトロさんはニヤリと笑った…ような気がした。 「そ、それは…」 「それに、私はお前に生きてほしいと思っているぞ?」 「!」 その言葉は暖かかった。 僕の心をふわりと抱き、温もりを送った。 「アジェトロさん…僕は…弱い人間でしょうか…」 声は震えていた。 「どんなに差別されても…どんなに嫌われても…人の温もりを求める僕は…弱い人間でしょうか?」 僕は鼻まで湯の中に沈めた。 鼻腔から漏れた空気が気泡となって、水面に浮いた。 「弱いさ。 でも、その方が人間らしくないか? 強くなる必要なんてないんだ。 弱い中に光を見つけられればそれでいいだろ?」 「弱い中の光…」 「そうだ。 強く生きろ、なんて陳腐な台詞は言わせるな。 胸を張って、己の弱さをさらけ出せ。 それが本当の自分だ」 「本当の自分…」 そうか、そういうことだったんだ。 それに気付いた時、僕は勢いよく湯の中に潜った。 水飛沫が飛び、アジェトロさんにかかったかもしれないが気にしない。 とにかく、無性に泳ぎたくなった。 泳いで、泳いで、どこまでも行きたいと思った。 どこまでも生きたいと思った。 「アジェトロさん、ありがとうございました! 何だか吹っ切れることができました!」 「わかったから、水飛沫をかけるな」 「嫌ですよ。 これが本当の僕なんですから!」 僕は調子に乗り過ぎた。 「…『ウィザードゲート』」 * * * 「うわっ! 眩しい!」 「ふむ、いい天気だな」 アジェトロさんははしゃぐ僕を見かねて、外に連れ出したらしい。 …ってえぇ!? 「どうした? 口が開いているぞ?」 アジェトロさんは…モンスターだった。 「えぇーーーーーー!?」 「あぁ、五月蠅いな。 その一本ぶら下がっているものを早く隠せ」 ・・・・・・・・・。 今頃、衣類はディグバンカーの温泉の中を漂っていることだろう。 横暴だ。 責めてそれくらい持ってこさせて欲しかった・・・。 僕はものを隠しながら叫んだ。 「どうしてモンスターが!?」 「モンスターという言い方は不服だな。 私は誇り高きカプリコ族の魔術師だ」 アジェトロさんは憮然として言った。 「そうだ。 どうせ、お前はこれからどこに行くかを決めていないんだろ? 私と一緒に旅に出るぞ」 「そ、そんな!?」 「もう決定だ」 アジェトロさんは今度こそ、本当にニヤリと笑った。 僕は嫌がりつつも、心の奥底で渦巻く冒険心に少しだけ説得された。 モンスターとの二人旅か…。 斬新的でいいかもしれない。 「旅の目的は?」 「それは追々話す。 何しろ、時間は持て余すほどにあるんだ。 ゆっくり語っていけばいい」 「そうですね」 そして、僕の新しい生活が始まろうとしていた。 アジェトロさん、この人(?)すごく面白いかも―僕は胸の高揚を抑えることが出来なかった。 * * * 「アジェトロ〜」 「何だ?」 「腹減った」 「そうか」 「…それたけかよ!」 「拙者は忙しいのだ。 お主の道楽に付き合っている暇はない」 「何で忙しいの?」 「疑っているのだ」 「………」 「『何を?』とか聞かないのか? 張り合いがないな」 「聞かないさ。 答えは知っているからな」 Fin.
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