アスガルド物語2〜サラセン会戦〜その9


サラセンの町の奥にある巨大な闘技場。

 
それはゆうに数万人を収容できるほどの大きさで、

町の正門の外からもその姿を確認することができる。

 
そして今日も闘技場は、興奮した観客で埋め尽くされていた。

観客席の最前列には、リコとロドの姿がみえる。

 
少し離れた所に彼女はいた。

 
漆黒の長い髪に白い肌、服装から修道士とわかる。

彼女の大きな瞳は闘技場の中央に立つ、一人のカプリコに向けられていた。

 
彼女の兄を手にかけたカプリコ、エイアグに。

 
エイアグは妙に落ち着いていた。

これ程の大観衆の前で戦うなど初めてのことだったが、不思議と不安はなかった。

 
昔はいつも一人だった。だが今は違う。

光を失ったエイアグの目にも、観客席にいる二人の姿がはっきりと映っている。

エイアグは自分の前に現れた対戦相手に、ゆっくりと剣を構えた。

 
エイアグの対戦相手に観客は度肝をぬかれた。

真紅のマントに真っ赤な鎧兜、襟元には派手な羽飾り、手には紅蓮の長槍。

彼の名はアジェトロ。カプリコ三騎士の一人。

 
「アジェトロ?…」

 
確かにアジェトロだった。しかし何か違う。エイアグはそう感じた。

 
「生きていたのか…アジェトロ…」

 
返答はなかった。かわりにその口からは嫌な臭いがした。瘴気だ。

 
「貴様…何者だ…」牙を剥くエイアグ。

 
その直後、試合開始の銅鑼が闘技場に響き渡る。

 
一気に間合いを詰め剣を振るうエイアグ。

その剣は折れているためより至近距離の間合いとなる。

 
槍先に立たねば、恐れるものはない…
 

エイアグの剣がアジェトロの腕を切り飛ばした。
 

 

 

 

 
ガイエルの率いる帝国軍が包囲網をしいている時、背後より異民族軍の急襲を受けた。

帝国軍は横に伸びきっていたため、容易に中央の本隊を突かれた。

 
いや、そう見えた。が、本隊はすでに右翼に移っていて中央は囮に過ぎない。

部隊を左右に退かせ敵をやり過ごし、背後に回り半包囲網をしく。

町を守る城壁と帝国軍に挟まれ、異民族軍は逃げ場を失った。

 
「思ったよりうまくいきましたよ。数では勝ってますからね。時間の問題です。」

 
「さすがだなチャオ。敵の罠を逆手にとったか。」満足そうなガイエル。

 
「いえ、たいしたことではありませんよ。

元帥をサラセンに呼び出した時点で、敵の急襲があるのはわかってました。

元帥不在で襲われれば多少なりとも混乱しますから。

あとは速めに降伏してくれるのを待つだけです。してくれればいいのですが…」

 
そう言って、モジャモジャの髪を掻いた。
 

 

 

 
エイアグは異様な気配をアジェトロから感じていた。

腕を切り落とされてもうめき声のひとつもあげない。

 
不信に思ったエイアグの勘は、その時確信へと変わった。

 
客席から無数の悲鳴があがる。

 
アジェトロの腕の切り口から、瘴気とともに植物の蔓のような物が溢れ出す。

 
肉を食い破り、鎧を弾き飛ばし、闘技場に広がっていく蔓は客席の人々をも襲いだした。

闘技場は悲鳴と血しぶきと、それを浴びて巨大化する蔓で溢れていた。

 
慌てふためくロドだったが、自分のポケットが熱をもっていることに気付く。

 
「な、な、な、なんじゃ?」
その瞬間、ポケットを突き破り無数の樹の枝が湧き出した。

 
リコのエペがポケットをなぎ払う。

宙でポケットは四散し、湧き出した枝は放射状に広がり闘技場に覆いかぶさった。

 
「危ないポッケですね、ロド。

エイアグさん!ここは危険ですよ。早く出たほうがいいですよ。」

 
無数の蔓がエイアグに襲いかかる。

低い姿勢から連射したルナスラッシュがうんだ真空刃が地を這い、蔓を次々と斬り飛ばす。

 
エイアグの剣技[地走り]だ。が、凄まじい勢いで蔓は再生し増えていく。

エイアグは斬って斬って斬りまくった。

 
逃げるリコの視界に女が映った。黒髪のあの女。複数の蔓が一斉に彼女に襲いかかった。

考えるより先に体が動き、彼女の周りの蔓をなぎ払う。

 
「誰が助けてくれって頼んだ!余計なお世話だよ!」捲くし立てる女。

が、リコの足元に流れ落ちるおびただしい血を見て言葉を失った。

 
「あ、あんた…」驚愕する彼女。

 
「リコ様!」ロドの声が震える。

 
リコの背中には一本の蔓が突き刺さっていた。その蔓は腹部から顔を出し蠢いている。

エペを振るい蔓を斬り、それを腹から引き抜いた。

 
「なれないことはするもんじゃないね。ロド、彼女を頼むよ。」

苦痛に震える声。

 
「リ、リコ様…」ロドは戸惑った。

 
「は、はやく行って下さい。」

そう言うと二人に背を向け、襲いくる蔓をなぎ払う。

 
「はやく!!」

 
二人は振り返らずに走った。
 

 

 

 

 
ガイエル達の目にもその異様な光景は映っていた。闘技場を覆う樹のドーム。

その隙間から緑の触手が這い出ようと蠢いている。

 
「やべぇな、これは。チャオ、あとはお前に任せる。」

 
「どこに行くつもりですか?まさか…」

 
「おうよ。そこしかあるまい。エイアグは俺が軍に引き入れた。

俺にはその責任がある。」

 
「責任ですか…失礼ですが兵士への責任はどうなさるのですか?

エイアグさんを大切にするのは分かります。しかし、あなたは帝国元帥です。

まず、兵士への責任を果たすべきではないでしょうか?」

 
「チャオよ、お前の言うとおりだ。だが、俺はそんな器用な男じゃねぇ。

俺は剣一本でここまでのし上がってきた。剣を振るうのは得意だが用兵にはむいてねぇ。

だがお前は違う。俺とは違って用兵の才能がある。

俺よりお前がやるべきだ。」

 
そう言うと、襟元の元帥の階級章を引きちぎりチャオに投げた。

 
「お前はお前のやるべきことをやれ、俺がそうするようにな。」

 
ブロードソードを抜き放ち、ガイエルは馬を駆けさせた。

サラセンへ…