第1話



強いて言えば空気が青い、とでも表現すればいいのだろうか。

いや、この場合はよりはっきり『黒』と直接的に述べてしまったほうが良いのか。

とにもかくにも、ぼくことディカンプールが

いつもの溜まり場──ギルドのアジトの扉を開けたときの室内の空気は、

傍観者であるはずのぼくにさえ、はっきりと悪いものと判断できた。

「ど、どうしたんですか?」
「……いや、ちょっとね。大した事じゃないんだけど」

アジトの中に居た二人のうちの一人が振り返って返事をする。

破戒の板──板さんだ。

「はぁ。にしては空気がちょっと重すぎはしませんか?」
「気のせいだよ、きっと」

ふう、という溜息をつく板さん。

いつもと違い、少し憂鬱そうな横顔。

「──あら、誰かと思えばディカンじゃない」

少しハスキーな声が、もう一方の人から生まれた。

「え? うわ…」
「『うわ』ってなによ、『うわ』って」

「いえ……、誰かと思えばあなたでしたか」
「そーよ。どう? 最近ちゃんと訓練してる?」

「ええ、まあ」
「そ。なら良し」

満足したように、にっこりと微笑むリュープさん。

その笑顔はいかに性格がアレであれ、とても魅力的なものだ。

既に三十路を超えているとは思えないほどの美しさと、

蒼さんや破戒の板とタメをはれるほどの強力な戦闘力。

この二つを兼ね備えている女性が、リュープ=ケングダムなのである。

「で、どうしたんですか今日は?」

念のために。

リュープさんは、うちのギルドのメンバーではない。

ぼくは二人にお茶を入れるために流しに向かった。

「ちょっと板くんに話があってね。それでわざわざサラセンから出てきたわけ」

ふむ。

先ほどの雰囲気とあわせて考えれば──、良くない話か。

急須にお湯を注ぎながら、ぼくはそんなことを考える。

『何の話ですか?』と聞きたくなる自分を堪え、二人にお茶を渡した。

言って良いことと悪いことがあるように、

聞いてはいけない話も、存在するとぼくは思う。

「そうだ、ディカン君。一つ、買い物を頼まれてはくれないかな」
「買い物、ですか」

「そ。確かさっきルケシオンに、
エンチャントできるダイスオーブを売っている露天を見つけてね。
お金はここにあるから、買ってきてくれないか?」

そう言って、10万Gの金貨が20枚入った箱を渡してくる板さん。

200万!? なんて高い……。

「分かりました。──ルケシオン、ですか?」
「そうだよ。銀行のそばにあったから、すぐ分かるはずだよ」

きっとこれは、ぼくを追い払うための口実なのではあるのだろうけど。

それを感じさせない板さんの心遣いに、少しぼくは感動してここを出て行った。

「随分とあれだわね、板くん」
「あれ、とは?」

再び二人きりになったアジトの中で、リュープが口を開いた。

「仲間思いだ、って事。昔と随分と変わったよね」
「ああ」

少し苦笑して答える板。

「かもね──

もっとも、彼がこういったことにものすごく敏感だっていうのもあるんだ。

余計な心配をさせたくは、無い」

「余計、かな?」

少し、意味ありげな視線。

「……」
「あんたは分かりきっているだろうけど、もう一度言わせてもらうわ。
これ、あんたの弟子の話なのよ?」

「──もちろん分かってるよ、そのくらいのことは。

だけどね、君も知っているとおり、僕はこういうことはしないんだよ。

たとえ──マリエ君の仇、だとしてもね」

「──」

あのことで一番傷ついているのは板。

その事実に気がついたリュープは、謝罪の言葉を述べた。

「すまない、私が悪かった」

「いや、いいよ。確かに僕が一番最初に動いているべきなんだろうけどね。

そのくらいのことは、分かっているよ。でもね――」

ディカンが入れたお茶を一口、飲む。

「心が通う出来事なんかあるから、喜びや楽しみの反面、憎しみが生まれる。

憎しみが生まれるから、つらいことや悲しいことが起きる。

別離とか決裂、わざわざそんな目にあうくらいなら、はじめから僕は何も望まないんだよ。

だから、今回の件も、僕は力を貸せない」

「そうか──そうだったね、あんたは」

何かリュープは言葉を呑みこむ。

「実は、うちのアホが何も考えずに突っ込んでね。まだ帰ってきてないんだよ」
「ふむ?」

「だから、あいつを助け出すためにあんたを炊きつけてみたんだけど──、

まあ期待はしてなかったけどね」

少し、自嘲的に笑うリュープ。

「そうだったのか……。彼、大丈夫なのか?」

「多分、ね。私の弟子、ということを知らないわけでもないとは思う。

命を奪うことまでやれば、どうなるかぐらいは分かってるだろうからね」

そうか、とかすかに呟き板は机の上においてあったダイスオーブを宙に浮かせた。

「……そうだね。それくらいなら手伝うよ。義を見てせざるは勇無きなり。

君は、僕の大切な友人の一人だからね」

「本当か!?」

「ああ。だけど、助けるだけだよ。

僕に仇をとらせるとか、君の屍を超える、とかそういうことはやらないよ」

「それで十分だ、有難い」

だが、それ以来しばらくの間、二人の姿は誰にも見られなくなる。