10th quest 生きる意味


今、拙者の前に彼奴がいる。

 

ずっと側にいたはずなのに、遠いところに行ってしまった彼奴。

 

やっと、会えた彼奴。

 

フサム、拙者は彼奴と共に貴様を待つ。

 

『何しにきた?』

 

彼奴が言った。

 

『とうとう拙者も死んでしまったみたいだ。

でも、こうしてお前に再び会えたのだから悔いはない』

 

『甘ったれたこと言ってんじゃねぇぞ』

 

…様子がおかしい。

 

口調があの頃とは全然違う。

 

…それは拙者もか。

 

『はっきり言ってここに来られたらメーワクなんだよ』

 

!

 

『やはり、あの時のことを怒っているのか?』

 

『あぁ、ムカつくね。

お前が俺に声を掛けなければ俺は今こんなところにいなかっただろうしな』

 

『許してくれぬか?』

 

『あぁ、許さねぇよ。

だから、こんなところに来るな』

 

時の空白は我々の間にこれほどまでに大きな溝を作ってしまったのか。

 

『………わかった。

罪人は罪人らしく地獄へ堕ちるとしよう』

 

ある程度覚悟はしていたとはいえ、胸の内からこみ上げてくるものは抑えきれない。

 

視界がぼやける。

 

彼奴の顔の輪郭をとらえることができない。

 

泣いてなんかいない。

 

泣いてなんか…。

 

『そう。

アジェトロはまだこんなところに来るべきじゃないんだ。

まだ、アジェトロは生きることができる。

生きる意味を持っているんだ。

俺は少しばかり寂しい思いをする期間が延びただけだ。

心配しなくてもいい。

フサムも、今のパートナーもアジェトロを待っているんだ。

さぁ、行ってくるんだ』

 

堕ちていく体を強ばらせながら聞いたのはそんな[めっせぇじ]だった。

 

『エイアグ、まさかお前わざと!?』

 

もう声は返ってこなかった。

 

「エイアグーーーーっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

『リザレクション』

 

 

 

 

 

 

 

 

「スルト君!

アジェトロ君が目覚めたみたいよ!」

 

ここは…どこだ…?

 

[べっど]…?

 

「もう、いきなり『エイアグーーーーっ!!』って叫ぶからびっくりしたじゃない」

 

お前は…誰だ…?

 

声が枯渇している。

 

「アジェトロ!」

 

スルト…?

 

「おい、何とか言え!

せっかくこの人たちが助けてくれたんだから!

…何だ、お前泣いてんの?」

 

「な、泣いてなんかいない!」

 

声が出た。

 

嘘と一緒に。

 

まるで、全身の血液が今までせき止められていたように一気に流れ出す。

 

体が温もりを求めている。

 

心も温もりを求めている。

 

「やっぱ泣いてんじゃん」

 

「こ、これは…汗だ!」

 

我ながら、なんて信用性に欠ける嘘だろう。

 

「まぁ、いいさ。

こちらはお前を助けてくれたルナさんとグラナダさんだ」

 

魔術師の格好をした女性が宛然と微笑む。

 

こういう笑顔を作れるのは母性に溢れている人間だけだろう。

 

もう一人の法衣を纏った男は、拙者の脈をはかるとしっかりと頷いた。

 

「ちゃんと血液が流れていますね。

後遺症も残っていないみたいだし、本当に良かった」

 

「グラさん、挨拶しないと。

よろしくね、アジェトロ君」

 

「お、初めまして」

 

拙者は訳もわからず、二人と握手する。

 

「あ、助けてくれたっていうのは…?」

 

「お前、体に無理をさせて[ファイアウォール]をぶっ放しただろ。

おかげでモンスターを倒すことは出来たけど、お前死にかけたんだ。

そこにちょうどこのお二人が通りかかったわけだ」

 

「仮死状態でしたからね。

あと少し遅ければ[リザレクション]も効きませんでしたよ」

 

[リザレクション]は死者蘇生魔術。

 

死後硬直が来る前ならこの魔術で復活させることができる。

 

その高度な技術故、修得している聖職者は二十人に一人と言われている。

 

でも、この男―グラナダが本当に?

 

「この[リザレクション]はエイアグが掛けたのじゃないのか?」

 

「はぁ?

お前は何を訳のわからないことを言っているんだ?」

 

「ちょっと錯乱状態にあるみたいですね」

 

…下手なことは言えないな。

 

「じゃ、ここは?」

 

「カレワラの宿屋」

 

そういえば、わずかにスルトの血痕が残っている。

 

「そうか…」

 

拙者は大きくため息を吐いた。

 

あれは夢だったのだろうか。

 

それとも、本当に…?

 

今となっては、わからない。

 

「う……」

 

「あら、もう一人の方も眼を覚まされたみたいですね」

 

隣の[べっど]から聞こえた呻き声は拙者の背筋に悪寒を走らせた。

 

この声は…!

 

「お、クロッカスちゃん大丈夫?」

 

スルトがまるで友だちにでも話しかけるような口調で聞く。

 

なんて脳天気な奴だ!

 

「スルト殿!

エリスに近づくな!」

 

拙者は[べっど]から起き上がり、スルトの腕を掴んだ。

 

「何で?」

 

「何で…ってお主、殺されるぞ」

 

「大丈夫だよ。

クロッカスちゃんだし」

 

此奴状況をわかっていないのか!?

 

「う…ここは…」

 

エリスはちぎれた片腕を抑えながら起きあがった。

 

胸には大きな[ぶい]字が刻まれている。

 

「ここはカレワラの宿屋ですよ」

 

グラナダは普通に対応した。

 

「なぜ、助けた?」

 

「助けた、という表現は適切ではないですね。

あなたの身体は生物の構造ではありませんね。

ですから、治癒術を施すことが出来ませんでした」

 

「治せなくていいわ。

だいたい何で私を助けようとするわけ?

私はあなたたちを殺そうとしたのよ?

その殺意は今も変わらないわよ」

 

拙者はいつでも抜刀出来るように、柄に手を置いた。

 

「殺意があるにしろ、ないにしろ、眼の前で傷ついている人がいれば助けます。

ただ、それだけです」

 

まぁ、エリスは人ではないが。

 

「そう、これだから聖職者は嫌いなのよね。

偽善ぶっちゃって」

 

「偽善じゃありません。

聖職者として、当たり前のことです」

 

エリスは何も言い返さなかった。

 

「失礼します」

 

宿屋の女将が何かの箱を持って現れた。

 

顔に疲労の色が濃く出ている。

 

昨日の一件で随分苦労したのだろう。

 

「仰せの通り、裁縫箱をお持ちしました。

それと、スルト様、お体の方は…―」

 

「うん、大丈夫だよ。

どうもありがとうね」

 

スルトはにこにこしながら、かつては穴が開いていた腹を叩いた。

 

「裁縫箱、後で返しますね」

 

ルナは裁縫箱を受け取ると、エリスの方へ歩いていった。

 

「じゃあ、今からエリスちゃんのオペを始めます。

ちょっとチクッとしますよぉ」

 

エリスが有無を言う前にルナは腕を身体に縫いつけ始めた。

 

見事な手裁きで、エリスの身体はどんどんあるべき姿に戻っていく。

 

しばらくの間、沈黙が続いた。

 

グラナダは懐から[ぶらんでぇ]を取り出し、一酌している。

 

意外と良いことを言っておきながら俗っぽいところもあるようだ。

 

その沈黙を破ったのはスルトだった。

 

「グラナダさんの言うこと、わかる気がする」

 

随分前の話題を引っ張ってきたな…。

 

「ん?」

 

「俺、昨日死にかけたとき、すっげぇ怖かったんだ。

あぁ、こうやって俺は死ぬんだなぁ、って思ったとき、一瞬天国が見えた。

でも、まだ来ちゃだめだ、って言われて、我に帰ったんだ。

生きる価値を放棄することで、俺は死から逃げようとしたんじゃないか、

そう思ったとき、俺は眼を覚ましていた。

死ぬのって、すごく怖いんだ。

今まで出会ってきた人の顔を見られなくなる。

暖かいコーヒーがもう飲めない。

血を流すことが出来ない。

夢を追うことが出来ない。

それは、心がある者みんな感じると思う。

だから、クロッカスちゃんにも、生きてほしかったんだ。

あんな思いはしなくていい。

する必要は、ないんだ」

 

スルトの話しが終わると同時にエリスの腕の修復が終わった。

 

次は胸だ。

 

いくら人形の[もんすたぁ]とはいえ、こんなことで本当に直るのだろうか。

 

「で、お主は此奴をどうしたい?」

 

拙者はまだエリスのことを許したわけではない。

 

だいたい、反省すらしていないし、拙者らを裏切った罪は大きい。

 

「ん〜、情報を聞き出せないかな?

こっちには助けた恩があるわけだし」

 

「私は助けられたくて助けられたわけじゃないわ。

だから、恩なんて感じていないわ」

 

やはり、無理にでも言わせるしかないか。

 

せっかく修復したルナには悪いが。

 

しかし、その考えも次の一言で中和された。

 

「でも、何も悪くないあなたを傷つけたのは本当にごめんなさい。

そのお詫びとしてなら、教えてもいいわ」

 

拙者には詫びないのか…。

 

そういえば、初めて会ったときも同じようなことがあったような…。

 

しかし、何が此奴の心を動かしたのだろうか。

 

「はい、終わり!」

 

ルナは鼻歌を歌いながら裁縫箱を片付け始めた。

 

「いい加減、剣から手を離したらどうだ?」

 

スルトが呆れ顔で言った。

 

「こ、これは刀だ、スルト殿!

こっちはエイアグの剣だが―…ない」

 

帯刀してあったはずの剣が、ない。

 

「エイアグの剣がない!

ス、スルト殿!」

 

「あぁ、忘れてた」

 

火山帯に忘れてきたのか!?

 

地に刺さったままで!?

 

「な、何だと!?

あれはエイアグの形見!

あぁ…スルト殿に任せたのは一生の不覚…。

我が人生に悔いなし…」

 

「何一人で暴走してんだよ。

俺は渡すのを忘れてたって言いたかっただけだ」

 

………。

 

「ならば、最初からそう申せ!

危うく切腹するところではなかったではないか!」

 

「それはてめぇが勝手にしたことだろ!

俺のせいにすんな!」

 

「やるのか?」

 

「やってやろうじゃねぇか」

 

「あんたたちがさっきから言っているエイアグって誰?」

 

一触即発の状況で声をかけたのはエリスだ。

 

「主には関係ない」

 

拙者は憮然として、言い放った。

 

しかし、それは疑念に変わる。

 

「…貴様、エイアグのことを知らぬのか?」

 

「知らないわよ」

 

エリスもまた、憮然として答える。

 

「じゃあ、フサムのことは…」

 

「フサムの昔の相棒があんただってことしか知らないわ」

 

…何ぃ!?

 

「アジェトロ君、すごい顔しているわよ」

 

ルナが茶化す声なんかどうでもいい。

 

これではエリスからはまともな情報を期待できないではないか。

 

「…ならば、フサムの居場所を教えてくれ」

 

苦渋の選択だった。

 

しかし、ケリをつけるのは拙者だ。

 

守備隊でもなければ、スルトでもない。

 

「後悔するわよ?」

 

「貴様にこの身を想ってもらう必要などない」

 

エリスはそれもそうだ、とでも自分に言い聞かせるように頷いた。

 

「この街から少し南下した場所に廃屋があるわ。

そこにいる」

 

「礼は戻ってからだ。

いいな?」

 

「いらないわ。

あなたのためじゃないもの」

 

エリスは少し俯いて、顔を隠した。

 

照れているのか。

 

「行ってくる」

 

拙者はエイアグの剣を受け取り、扉に手を掛けた。

 

「待てよ」

 

スルトが鋭い声を発した。

 

「俺はまだ準備ができていないぞ」

 

此奴、何をほざいている…。

 

「誰がスルト殿を連れて行くと言った?

フサムのことは拙者に任せろ」

 

「お前一人で大丈夫なのか?

死にかけたくせに」

 

意地悪く笑うその姿は小悪魔を髣髴させた。

 

スルトはまだ喧嘩を水に流していないらしい。

 

「黙れ」

 

「遠慮すんなって。

お前が死んだらエイアグは喜ばないだろ」

 

此奴の中では拙者が死ぬのは決定事項らしい。

 

全く、不躾な奴だ。

 

「手を出すなよ。

絶対に」

 

「命令か。

いつからお前はそんなに偉くなったんだよ」

 

「この世に生を受けたときからだ。

取り分け、貴様に対してな」

 

「口の減らない野郎だな」

 

スルトはこめかみをひくつかせながらも、[おぉぶ]を懐に入れた。

 

「ま、よろしく頼むぜ、相棒」

 

「………」

 

此奴が絡むとろくなことがないような気がするのは気のせいだろうか…。

 

「私たちはどうします?グラさん」

 

ルナは持ち前の柔らかい口調でグラナダに訪ねた。

 

どうするも何も、ついてくるなんて言わないだろうな…。

 

「そうですねぇ。

事情があるみたいですし、行くのはやめましょうか」

 

グラナダは人間が出来ているようだ。

 

我が相棒にも彼の爪の垢を煎じて飲ましてやりたい。

 

…というか、[ぶらんでぇ]の瓶を四本も空にして平然としているとは、この男只者ではないな。

 

「でも、何かあった場合は早急に連絡をくださいね。

ルナさんの[ウィザードゲート]で駆けつけますから」

 

「承知」

 

エリスはこれ以上にないほどの不満な顔をして、壁にもたれ掛かっている。

 

「だから、エイアグって誰なのよ?

あんたも徹底的に無視するわね」

 

全く、表情豊かな人形だ。

 

「気が向いたら教えてやる」

 

「何それ?

せっかく、情報を提供してやったのに。

もう、何も教えてあげないわよ」

 

だったら、拙者に詫びの一つでも言えないものか。

 

「では、行ってくる」

 

「行ってきます!」

 

拙者は扉の取っ手に手を掛けた。

 

それは、運命の扉だったのかもしれない。

 


*      *      *

 

「なぁ。

俺、思ったんだけどさ。

火山帯に俺が駆けつけた時に、

さっさと[ウィザードゲート]でずらかれば、お前死にかけなくて済んだんじゃねぇの?」

 

………。